dapoerpane路地裏ミルクバー

穀物粉とスパイスの日常開扉

山羊乳バターかクロテッドクリームか迷い悩む振りは楽し

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ガラス瓶に詰められた滑らかな乳白色。なに、これは。美容クリーム?、もしかしてバターとか!?

ココアバターやシアバターなど、自作化粧品の基材となる植物性の脂肪(バター)だと見えるかもしれない。

これは、山羊乳からのバターだ。臭い。バターとなった後でもしっかり獣臭がする。溶けて姿を消す速さにも魅了される。それなのに風味できっちり痕跡を残す。私の大好物。

 

 

もう本当に本当に極端に数少ない私のブログ読者でいてくださる方から、私の普段の行動圏内スーパーマーケット事情について知りたいと要望があり。要望があるなんて、なんと珍しいなんと有難いことなので、早速それについて書くことにする。

だが、先述にある通り、あくまでも私の普段の行動圏内(主に片道徒歩30分圏内)および個人的な体験から言う、これから始まる話はそういうものだと了承の上で読み進めてもらいたい。数か国そしてそのそれぞれの国においてもいくつかの地域(宗教や階層の異なる)に暮らしてきた記憶が交錯しながら書くので、今回の一記事では収まらない。思い出しの断片ずつを不定期にいくつも読まされるでもいいと言う方だけ、続く下記へどうぞ。

 

 

日曜日、週末の朝、昨日はクロテッドクリームをどぼっと落としたパンケーキを食べた。クロテッドクリームは、前日に欧州からの輸入品だけを置く店から買ってきた。イギリスのデボン地方の物。これでも十分に美味いが、欲を言えばコーンウォール州のが欲しい。でも残念ながら滅多に見かけない。いや、作りたてのを現地で食べたい。そんな欲は言うだけで叶わない年月が長くなると、瓶詰のクロテッドクリームを店で見かけるだけで胸が高鳴る。

だがそれを見かける度に買うことは自分に許しはしない。いつも冷蔵庫にあるではない、たまにの贅沢として口に運べたらいいじゃないか。そんな存在。暮らしている地で当たり前に食べられるではない物は、無理に常食しようとしてはいけないのだ。誰に諭されたわけでもなく、数か国いろいろな地域に暮らしてきた私が、時に困難や過酷な条件下であっても生き延びるために奮闘しながら作り上げた決まり。

人間には2通りあって(いや、実際はもっとあるさ、ね)、生まれ育った環境をどこにいても頑なに続けていこうとするのと、移った場所においての最良をもがき模索しながら一から築いていこうとするのと、大雑把にそんなふうに見ているが、ブログ読者の方々には言うまでもなくご存じの通り私は後者だ。そして、もがき模索してやっと出来上がった新たな食生活も、別の地に移ればすっかりきっぱり手離してしまう。

日常的には手離しはするが、特に気に入った物についての記憶まで捨てて忘れるわけではないので、そこが生まれた地でもないのに懐郷と憧憬からなんだろうか、それを含めての味の記憶を手繰り寄せた心酔する時間を持とうとして、暮らしているこの地で生産されていない物を食べたくなる。

クロテッドクリームはそんな存在である。そんな存在と言えば、双璧を成すのが、山羊乳バターだ。

 

迷った。店では乳製品の棚の前で、かなり悩んだ振りをした。クロテッドクリームにするか、山羊乳バターにするか。両方を買えばいいじゃないか。答えは出ている。だけどそれでも迷い悩んだ振りをしてみたい。今回は山羊乳バターではないのよ、クロテッドクリームを手に取ってここを後にするよ、との頭の中での台詞回しは上手くいった。

山羊乳バターは、懐かしさと憧憬が溢れ零れて始末に負えなくなるだろういつかの次回に。さて、買って来たクロテッドクリームはこんなふうに使ったの。

パン焼きと料理のブログ『ダプールパーネ台所ノート』の記事でどうぞ。 ↓

 

ricohoney.hatenablog.com

 

 

山羊肉を食す、山羊乳を飲む、その加工品であるバターやチーズを食べる、そんな切っ掛けを齎してくれた始まりは、インド料理のビリヤニに使われていたゴート肉。そうだったと思う。

そう思っていたが、それは正しくなくて、インド料理で言われるゴートとは山羊ではなくて羊(マトン)を指していることが多く、これはなかなかに混同する。現地の料理店で質問しても、マトンをゴートだと信じて疑わない答えが返ってきたりして、それじゃぁ山羊を英語で何と言っているのさ!と詰め寄ったらそれもゴートだと断言されたりして、混沌に陥る。

だからそんな始まりをしてそれに勢いがついたのが、インドネシアでの山羊肉の串焼きや煮込みの類だった。そうなるとイスラム圏を探れば山羊に関する旨いもんに当たるのね、と歩き出したら他方面にも足が向いて今だ止まらず。

とは言うが、現在は山羊を常食する地には住んでいない。食べる機会は非常に少ない。山羊肉は一切見当たらないのか。そうではない。一般的な大型スーパーマーケットの精肉コーナーの片隅にはハラルのラベルが貼られた山羊肉が置いてある。扱い量はかなり少ないが。好みの部位を選びたいとなると、ハラル限定の精肉店まで出向くことになる。

そしてだ、山羊乳バターとなるともう選択はひとつ。今現在私が暮らす地で日常の行動圏内で探せば、山羊乳バターはこのメーカーからのものしか見当たらない。常に置いてある店は皆無。もしかして今日はあるかもしれないという店が2店のみ。由って私からは至宝扱い。

 

 

いつにも増して反応薄だろう予測が濃いにも拘わらず、凝りもせずそのうち続きを書きます。

 

 

広い地に多様性が詰まって交錯している中から出会い掴みたい味

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チャイニーズ・フード。これは何かと言ったら、そういうことになる。オンラインで中国料理店を探して、出前を頼み、それが届いて、段ボールから無造作に取り出し並べた図だ。

それぞれ少しずつ取って盛り合わせてみる。この他に魚介と野菜のスープもあった。

 

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ここは多種多様な人種が集まる北米の地なので、集客のために当地の客が求める味の傾向に馴染むよう変化を加えている店が多いが、この店は経営者が育った出身地の料理をほとんどそのまま出しているという。

そうなのか。そうか。と、含みがありつつも淡々と頷いているのが我が家の面々の感想となる。我が家の面々は暮らしていた国それぞれの地にあるチャイナタウンで中国料理と出会い、その時期は様々で、自分の中の中国料理象なる物は各々異なっているのだ。

私が口火を切る。これ、台湾の長距離列車の記憶と繋がる味だわ。とか、なんとか。すると、いや、これはマレーシアの片田舎の中国系食堂で食べたのそのまんまな気がする。とか、なんとか。そんな調子で各々が自分だけの記憶を辿って行く。

 

 

はたしてそもそも中国料理とは、などという壮大で難解な疑問は呈さないに限る。気軽に手を伸ばせるのに、壮大なのだ、難解なのだ。自分に起きた出会いをそれだとしておくのが精一杯ではないか。

そんなふうに片付け落ち着かせていた折り、知人から1冊の本を見せてもらう機会があった。その本『THE REAL FOOD OF CHINA』については何度かあちらこちらで聞いていたが、手に取ってみようと思いつつもこの時まですっかり忘れていた。

中を覗くと、あぁ驚いた。興奮した。生まれ育った東京でも、いま暮らしている地でも、どうしたって見つけられない、かつて住んでいた地で馴染んでいた中国料理それが頁の中に収まっているではないか。

書店に駆け込む。しかし在庫は無し。ネットでざっと探したら、新品は今まで買ったことない業者でしか扱いがなく、古本でも料理本にしては安くない値が付いている。購買層は狭く、それを実際に熱心に読む読者層となるとさらに狭いだろう。そして、価値はそれほど落ちていない。さらに興味を深めたくなる面白い現象だな。

出版元に問い合わせたところ、(一時的に!)在庫なしだと。へぇ~。一時的って言ったって、何かを機に盛り上がらなかったら再版しないでしょうよ。それで、そんな可能性薄でしょうよ。

 

顛末。いわゆる処分市の一種だろうか、期間限定の破格値で新品を手に入れられることになった。ネットで決算済み。指定の場所に取りに行くのは約1週間後。

 

 

新居の裏庭にて事始めはブルーベリー

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前庭も裏庭も、日陰になる時間帯が長いところでは雪が氷と化してまだ残っている。だけどすっかり暖かくなってからなんて言っていたら、この地の短い夏はあっという間に終わってしまう。

短いくせに猛烈に激烈に厳しい暑さだから、せっかく芽が出て葉が開きかけた植物のほとんどは伸びる前に死に絶えていく。

それでも僅かに生き残ってやっと暑さに慣れて、これから伸びのび育とうかという頃には夏は無情にも終わってゆく。ならばいつどうやって育って収穫できるのさ!はまったくの運任せだから、資金を投じた種や苗から得る物は無し、という事態は大いに有りうる。

でもいいさ、農業を生業としているわけじゃないから、収穫が僅かでも、まったく無くても。育てる作業を懸命にやった夏、そう思いたいがゆえにそうして満足したいがゆえに、ただひたすら労力を使い果たしてもね。

それは真剣になれる贅沢な遊びでしょ。それじゃぁ早速だ、裏庭へ出よう。買ってきたブルーベリー3苗を新居の裏庭に植えてくるわ。